はじめまして、今夏より研究室メンバーに加わりました学部3年の佐藤です.よろしくお願いします.
さて今回私たちは主に大船渡線鹿折地区の廃線跡利活用についてのワークショップのため、宮城県気仙沼市とその周辺を10/11~12の日程で訪問させていただきました.私個人としては初めての研究室での調査かつブログ執筆となります.拙い文章でお見苦しいところも多々あるかと思いますがお読みいただければ幸いです.
1日目は東京駅7:16発の新幹線にて一ノ関駅へ向かいました.貧乏ながら旅行が好きな筆者の場合東北方面へは夜行バスでの移動が主なので、一ノ関まで2時間というのは感動的、まさに夢の超特急でした.一ノ関駅で研究室メンバーと合流し、レンタカーに分かれて乗車.市街地に位置する鹿折ふれあいセンター(鹿折公民館)へ向かいました.到着するやいなや建物がたくさん立ち並んでいる姿に驚きました.私は7年前の2017年に一度気仙沼を訪問したことがあるのですが、当時は砂漠のような黄土色の土に覆われた街だったと記憶しています.
こちらにて鹿折まちづくり協議会の方々とお会いし、大船渡線鹿折地区の廃線跡を視察させていただきました.今回廃線跡利活用について検討する旧上鹿折駅~鹿折唐桑駅間は北側には鹿折金山資料館や旧白山小学校を活用した酒造会社「角星」の製造場が立地しており、南側には市街地が広がっているほか鹿折唐桑駅にはBRT転換された大船渡線が接続しています.はじめに対象となる区間の北側まで車のなかから一通り視察しました.失礼ながら下調べを怠っていた筆者自身は廃線跡と聞いて線路や橋梁が残された状態を想像していたのですが、実際に訪れてみると踏切や橋梁はおろか線路や枕木は残されておらず、砂利や橋台のみが鉄路のあったことを示している様相でした.
昼食ではさんまのつみれ汁をいただきました.数年前までは安価だったさんまは温暖化による回遊ルートの変化や外国船による漁獲量の増加などにより不漁がつづいています.私自身久しぶりにさんまを口にできてうれしく思いましたが、気仙沼の方々も滅多に食べられないとおっしゃっていました.とてもおいしかったです、ご用意いただきありがとうございました.
午後は廃線跡視察の続きを行いました.山に接している区間では山側の木々が廃線跡まで侵食が進んでおり、放置していると線路脇の民家や農地にも侵食していくことが予想される状況でした.「自然」と「人間」のテリトリーの境界となっていた線路が廃線となったことでその境界が曖昧になり、人間のテリトリーが後退してしまっているともいえると思います.南側の市街地の区間でも草木が生えてきており、自然に還りつつあるという印象でした.なかでも杉は成長スピードが早いと伺いました.また自然に還りつつある廃線跡が獣道となっている実態もあるようで、実際に廃線跡にはカモシカや二ホンジカのフンが見られた他、お話によると熊の道にもなっているようでした.
夕方には気仙沼市復興祈念公園を訪問させていただきました.気仙沼港や鹿折の市街地を一望できる高台にあり、犠牲となられた方々の名が刻まれた銘板などが設置されていました.とても静かな場所で景色をみながら被災された方々や街の様子を想像の域を出ないながらも偲ぶことができたと思います.その後は気仙沼市魚市場にあるクッキングスタジオにて、気仙沼の海産物をいただきました.カツオの刺身やたたきからメカジキの煮つけに加え、地酒まで振舞っていただきました.中でもカツオを解体するところからいただける体験は今後もさせていただくことのない貴重な機会だったと考えています.その後ホテルに向かい、明日まちづくり協議会のみなさまに向けて行う廃線跡利活用の提案に向けた発表準備をしました.各メンバーが今日の廃線跡視察を踏まえて思ったこと考えたことを整理しながら班ごとに提案としてまとめていきました.
翌12日はホテルで朝食を取った後、市民福祉センターへ向かい、まちづくり協議会に向けた廃線跡利活用の提案発表会を行いました.まずはじめに市古先生と平木先生より、鹿折地区の住民を対象としたアンケートの集計結果の解説とそれに基づいた利活用提案のプレゼンテーションがありました.参加されていた協議会のみなさんは統計学を用いた市古先生の集計結果分析に驚くと同時に感心している様子でした.ご自身で建築士事務所を開いていらっしゃる平木先生のご提案も、建築の専門家の視点でパースを用いた具体的なもので私も敬服いたしました.質疑応答の時間にも様々な質問が飛び交い、参加されているみなさんの廃線跡に持つ関心の高さや本気度を伺うことができました.
この後でいよいよ学生の発表となりましたが、市古先生と平木先生の高度なプレゼンの後に学生である私たちがたった一晩で作った提案を発表して果たして評価いただけるのかどうか不安に感じました.しかし発表のあとに行われた座談会では、私たちの発表から新しい視点を得ることができたという意見もいただき、内心ほっとしました.例えば廃線跡を緊急輸送道路に転換することを望んでいる住民の方からは、撤去されてしまった橋梁を新たに架けなおすこと、特に緊急車両が通れる規格のものを用意しなおすことの難しさに気づかされたというお話がありました.その一方で私たちの観光資源として開発するという提案に対して担い手をどうするのか、初期投資を行政やJRが担ってくれるのだろうかという現実的な批評をいただきました.私自身も時間の都合上妥協してしまった点が多くあったため、より多く時間をかけることができたらなぁという残念な気持ちと、住民の方の十分納得する提案には至らなかったやるせなさを抱きつつ鹿折を離れることとなりました.
午後は大船渡周辺を視察するグループと同じく気仙沼市の階上地区を視察するグループに分かれて行動しました.私は後者でしたのでそちらの報告となります.はじめに訪れた階上地区長磯浜住宅は災害公営住宅として建設された新しい住宅地であり、市古研研究生の葛さんの研究の一環で訪れました.葛さんは住民の方々が庭や駐車場などの敷地内の建物が立っていない部分をどのように活用しているか、また各住宅とあるいは道路との敷地境界をどのようにしているかを中心に視察されていました.私も住民それぞれに様々な活用の仕方があり興味深く観察しておりました.例えば庭で家庭菜園や園芸をしているご家庭がある一方で、椅子を用意して外で陽にあたってゆったり過ごすことができるようにしているご家庭もありました.また特に手を加えずそのままにしているように見受けられるご家庭もありました.敷地境界についても境界が可視化できる形で15㎝程度の園芸用の花壇フェンスを立てられているご家庭もある一方で、何もせず境界が視覚的には曖昧になっているご家庭もありました.それぞれのお考えや思いがあってそのようにされているのだと思いました.防災集団移転事業のひとつで行われた杉の下集落では市古先生が大きく関わってきたそうです.津波の被害を受けた方々ができるだけ元の住まいに近い形で暮らしを続けたいとの想いから、数百m程度離れた高台へ居を移し生活されています.視察しながら、電柱の位置ひとつについても丁寧に議論したとのお話をいただき、住まい方へのこだわりを感じました.
その後は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校)を見学しました.私は個人的にこれまでも東日本大震災で津波被害を受けた学校の遺構は訪問してきましたが、最も津波の押し寄せた高さに恐怖を感じたと思います.私の母校も海岸に近く津波被害を受ける可能性もあるので、津波被害で校舎が様変わりしてしまった様子を在校生や卒業生が見たら多少なりとも心に来るものがあるだろうと思いました.高校のグラウンドだった敷地はゴルフ場となり賑わっており、更地になりがちな津波の被害を受けた地区の活用法としてよい例ではないかとも考えました.
その後私が以前より視察したいと思っていた大谷海岸の復興現場に連れて行っていただきました.大谷海岸では高さ約10mの堤防の建設にあたって、その土地の確保のため海岸が失われてしまう他、道路などから海が見えなくなってしまうことが予定されていました.そこで廃線となる線路の用地を活用することおよび、周辺の土地全体を嵩上げすることで海岸の保存と景観の維持を達成することができています.この工事にあたって従来の駅に代わるBRTの駅および道の駅大谷海岸が造られていますが、予想以上の賑わいに驚くとともに、保存に成功した海岸を眺めながら堤防でゆったり過ごすカップルや砂浜で遊ぶ家族の姿に感動もしました.海岸では流れついたゴミや流木でアート作品をつくっている方がいらっしゃりお話を伺ったところ、せっかく保存した海岸を美しく保つとともにできることで盛り上げたいという想いで活動されているそうです.その後道の駅で各自お土産等を購入し帰路につきました.
今回の調査を通じて、研究室所属以前の個人的な被災地訪問では気づくことのできなかった視点で視察することができた他、研究室という単位でしか関わることのなかったであろうまちづくり協議会をはじめ地域住民の方々とお話することでより理解が深まったと感じています.今後とも研究室活動を通して何かしらの形で復興活動の一助となれれば幸いです.











